「第20回文具教室/大治将典」レポート
2010 . 01 . 25 ( Mon )
「第20回文具教室/大治将典」レポート
つくし文具店店主 萩原 修
2009年最後の文具教室は、大治将典さん。
1、自己紹介
2、生い立ち
3、デザインのこと
4、文具のこと
という感じで話をしてもらいました。
参加者からは、
1、他のでデザイナーで好きな人とか嫌いな人とかいますか?。
2、いきずまった時にどうやったらかたちになるのか教えてください。
3、胸キュンな大治さんのデザインが好きです。
4、これからのクラフトについてどう考えていますか?
などなど、いろんな質問が飛び交いました。
5年前に、奥さんと生まれたばかりのこどもを連れて東京にでてきた大治将典さん。実は、大学を卒業して東京の設計事務所に数ヶ月働いていたことがあります。でも、設計のスケールが自分にあっていないと考え、広島にもどり、幼稚園からの幼なじみとグラフィックデザインの事務所をはじめます。
広島で印刷物のデザインの仕事のかたわら、ノートやメモ帳など、印刷でできる商品をセルフプロダクトとして手がけるうちに、プロダクトデザインのおもしろさにみせられていきます。そして、プロダクトのコンペに参加するようになり、それなりの賞ももらい、自信をつけていきます。東京のOZONEで開催した「かけるふく展」でハンガーを出展。インテリアショップでの販売も決まり、この調子でいけばなんとかなるかもと思いはじめます。
で、思い切ってふたたび東京へ。ほとんど知り合いがいない状態でしたが、芋づる式で次々と仲間が増えて、仕事も少しずつはいってくるようになります。
もともと、広島の団地で育った大治さん。父親は、造船や大きな産業用工作機械をつくっていました。小さい頃からものづくりや絵を書くのも好きでしたが、多くのこどもがそうであるように、思っていることに技術がおいつかなくなり小学校4年ぐらいで、ぱったり描けなくなります。
その後、高校で書道に再開。この時の先生のおかげで、クリエティブにめざめます。今でもロゴは落款で、パッケージは掛け軸や装丁。展覧会での作品の見せ方も書道と同じように考えています。平面は得意だけど、イラストは苦手。DMやポスターがどういう状況で見られるかが気になります。
本当は、書道家になりたかった大治さん。家から近くに広島工業大学の環境デザイン科があることを知り、そのまま進学します。骨のある先生は、哲学の先生ぐらいで、大学3年までは、あまり学校に行きませんでした。3年のとき建築意匠のゼミに入ってからデザインっておもしろいと気づき、建築のコンペで模型と紙、そしてマックを使うことが好きになります。
学生時代、グラフィック、プロダクト、建築まで手がけるオランダの「トータルデザイン」にあこがれます。書道の世界では、高校生の頃、井上有一の下手なのにすごいことに圧倒され、「うまい」と「すごい」のは違うことだと認識します。建築は、当時は、スイスのズントーやヘルツオーグも好きでした。グラフィックは、学生の頃にロンドンのトマトに衝撃をうけ、社会に出てからはロンドンのマーク・ファローのデザインに衝撃を受けました。環境とリンクするしかけや、小型のグラフィックの力にみせられます。
現在は、クラフト的なものを多く手がける大治さん。自分がデザインするモノのネーミングやロゴにも才能を発揮しています。常に売り手とつくり手の循環を意識して取り組んでいます。モノ単体でなく、佇まいや使われ方を含めた環境の中でモノをみることもを大切にしています。そして、自分が使いたいと思いえるモノを少しでも増やしたいと考えています。
そんな大治さんは、デザイナーの仕事は、「決めること」だと言います。その時に出会ったことを大切にして、いきづまった時にはほっておくことも。見えるところに置いておいて寝て、次の朝にみるとわかることもあると言います。そして、とにかくいろんな人に聞いいてみます。デザインは、ごはんを食べるためにやってはいけないと言います。出来る限り自分に正直でいたいと考えています。
デザインしている時は、そのものに関わる人の顔を思い浮かべ、どうなったら、みんなが幸せになるか思いめぐらす。最近は、デザインは、「仲良くなるための手段」だと考えている大治さん。これから、どんなつながりをつくっていくのか興味深く見守りたいと思います。
最後に、大治さんの仕事場を写真でパソコンで見せてもらいました。きちんと整理され、仕事がやりやすい工夫が随所に盛り込まれている仕事場やデスクトップ。なんだか、大治さんの誠実な人柄を再確認したような文具教室でした。
つくし文具店店主 萩原 修
2009年最後の文具教室は、大治将典さん。
1、自己紹介
2、生い立ち
3、デザインのこと
4、文具のこと
という感じで話をしてもらいました。
参加者からは、
1、他のでデザイナーで好きな人とか嫌いな人とかいますか?。
2、いきずまった時にどうやったらかたちになるのか教えてください。
3、胸キュンな大治さんのデザインが好きです。
4、これからのクラフトについてどう考えていますか?
などなど、いろんな質問が飛び交いました。
5年前に、奥さんと生まれたばかりのこどもを連れて東京にでてきた大治将典さん。実は、大学を卒業して東京の設計事務所に数ヶ月働いていたことがあります。でも、設計のスケールが自分にあっていないと考え、広島にもどり、幼稚園からの幼なじみとグラフィックデザインの事務所をはじめます。
広島で印刷物のデザインの仕事のかたわら、ノートやメモ帳など、印刷でできる商品をセルフプロダクトとして手がけるうちに、プロダクトデザインのおもしろさにみせられていきます。そして、プロダクトのコンペに参加するようになり、それなりの賞ももらい、自信をつけていきます。東京のOZONEで開催した「かけるふく展」でハンガーを出展。インテリアショップでの販売も決まり、この調子でいけばなんとかなるかもと思いはじめます。
で、思い切ってふたたび東京へ。ほとんど知り合いがいない状態でしたが、芋づる式で次々と仲間が増えて、仕事も少しずつはいってくるようになります。
もともと、広島の団地で育った大治さん。父親は、造船や大きな産業用工作機械をつくっていました。小さい頃からものづくりや絵を書くのも好きでしたが、多くのこどもがそうであるように、思っていることに技術がおいつかなくなり小学校4年ぐらいで、ぱったり描けなくなります。
その後、高校で書道に再開。この時の先生のおかげで、クリエティブにめざめます。今でもロゴは落款で、パッケージは掛け軸や装丁。展覧会での作品の見せ方も書道と同じように考えています。平面は得意だけど、イラストは苦手。DMやポスターがどういう状況で見られるかが気になります。
本当は、書道家になりたかった大治さん。家から近くに広島工業大学の環境デザイン科があることを知り、そのまま進学します。骨のある先生は、哲学の先生ぐらいで、大学3年までは、あまり学校に行きませんでした。3年のとき建築意匠のゼミに入ってからデザインっておもしろいと気づき、建築のコンペで模型と紙、そしてマックを使うことが好きになります。
学生時代、グラフィック、プロダクト、建築まで手がけるオランダの「トータルデザイン」にあこがれます。書道の世界では、高校生の頃、井上有一の下手なのにすごいことに圧倒され、「うまい」と「すごい」のは違うことだと認識します。建築は、当時は、スイスのズントーやヘルツオーグも好きでした。グラフィックは、学生の頃にロンドンのトマトに衝撃をうけ、社会に出てからはロンドンのマーク・ファローのデザインに衝撃を受けました。環境とリンクするしかけや、小型のグラフィックの力にみせられます。
現在は、クラフト的なものを多く手がける大治さん。自分がデザインするモノのネーミングやロゴにも才能を発揮しています。常に売り手とつくり手の循環を意識して取り組んでいます。モノ単体でなく、佇まいや使われ方を含めた環境の中でモノをみることもを大切にしています。そして、自分が使いたいと思いえるモノを少しでも増やしたいと考えています。
そんな大治さんは、デザイナーの仕事は、「決めること」だと言います。その時に出会ったことを大切にして、いきづまった時にはほっておくことも。見えるところに置いておいて寝て、次の朝にみるとわかることもあると言います。そして、とにかくいろんな人に聞いいてみます。デザインは、ごはんを食べるためにやってはいけないと言います。出来る限り自分に正直でいたいと考えています。
デザインしている時は、そのものに関わる人の顔を思い浮かべ、どうなったら、みんなが幸せになるか思いめぐらす。最近は、デザインは、「仲良くなるための手段」だと考えている大治さん。これから、どんなつながりをつくっていくのか興味深く見守りたいと思います。
最後に、大治さんの仕事場を写真でパソコンで見せてもらいました。きちんと整理され、仕事がやりやすい工夫が随所に盛り込まれている仕事場やデスクトップ。なんだか、大治さんの誠実な人柄を再確認したような文具教室でした。
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