「第32回文具教室/寺田尚樹」レポート
2011 . 03 . 02 ( Wed )
文/山田弘美
初のUST 生ラジオ放送がされた第32回文具教室は、第5回でもお話くださった寺田尚樹さん。2月1日にかみの工作所と「テラダモケイ」を立ち上げたことから、今回のテーマは「モケイ」。にもかかわらず、参加者は全員女性でした。
寺田さんは、大学卒業後にイギリスのAAスクールに留学しました。この学校では、一年間の課題を自分で考え、それに近いと思う興味・経歴を持つ先生にプレゼンをして、指導を受ける先生が決まるそうです。先生に興味を持ってもらえず、指導を受ける先生が決まらずにたらいまわしにされたり、留年したりする学生もいたとか。建築の技術は自分で学べ る、「冒険をしろ、地平を広げろ」と言われ、発信力が問われたそうです。
寺田さんはこの学校で、「自分が子供のころに好きだったものの空間を作る」ことをしました。
最初に浮かんだのは、子供のころに大好きだった、駄菓子のゼリー(イチゴ味)。これをもとに「ゼリー眼鏡」を作ります。五感の大半を占めるのは視覚だから、ゼリーに囲まれているように感じるにはめがねがよい、という発想だったそうです。
次の作品は「ゼリースーツ㈵」。ビニールでつなぎを作り、ゼリーを入れたものです。重力でゼリーが下に落ちてしまうという欠点を改良したのが「ゼリースーツ㈼」。体に塗るイメージで、動くとゼリーの振動が感じられたそうです。また、体温によってゼリーが溶け、香りもしたとか。「これで学校に行った」と言う 寺田さんに、バスの中が想像つかず、どよめく文具教室。自分が動物の形をしたグミになった気分になり、クマのグミの群れの中にゼリースーツを着た自分を入れ込んだ合成写真を作りました。
このようにして、自分が小さなころに好きだったもので囲まれた空間を作り、そこにミニチュアとして入っていくことに興味を持っていったという寺田さん。その後は、レゴの世界に縮小した自分を入れた写真を作成したり、ウォーリーの格好をして街中で写真を撮った「ウォーリーを探せ実写版」を作ったりしたそうで す。帰国後の、キッチンを街に見立てて世界的に有名な建築のゴキブリホイホイをデザインするなどの活動につながっていきました。
さて、本題の、プラモデルの話へ。
寺田さんの一番好きなプラモデルはタミヤの「1/48零戦21型」。理由は、パッケージのデザイン、パーツの並べ方、組み立て説明書すべての完成度が抜群だからとのこと。組み立て説明書はレイアウトに加え、説明の細かさ(というか、うんちく)がすばらしいそうです。
この好みは、添景シリーズにも反映されています。さかさにしない、ストーリーを作れるものは近くに配置するなどのルールを決め、はがきサイズの大きさに各パーツをどうレイアウトするかが楽しいそうです。裏に説明を入れるのも同じで、ここにもこだわりがあります。例えば、住宅編とオフィス編では、同じ腰を曲 げたポーズでも「こんにちは」と「おつかれさま」という異なるキャプションがつきます。
住宅編のときは、設計に必要なものを作っていましたが、「設計以外の人も使うようだ」と気づき、東京編、サッカー編では通常設計では必要のないものまで入れるようになったそうです。ここで出てきた小話、裏話は最後にまとめましたので、ご覧ください。
「最近の添景シリーズは、説明が少ないような気がしますが」という質問に対しては、「当初は説明にすごく時間をかけていたけれど、最近はほとんど入れていない。作る人にゆだねている」そうです。例えば、最新の街路樹編では葉っぱは別パーツにしてあるのですが、これはそのままなら冬、葉っぱをつければ夏にな ります。また、葉っぱの形は47都道府県の形をしているという細かい遊びも。こういった説明を入れず、「気づいたときに『あっ』と思って欲しい」のだそうです。
逆に、「どうやって使われているかを知りたいから、ウェブサイトで投稿を募集している」そうです。「(ほかの方が作っている)家の模型に、添景の人などを入れてバースデイカードにしました」という生徒さんに、寺田さんも驚いていました。
テラダモケイの添景シリーズは年4回リリース予定、目指せ100作、という状態だそうです。ということで、文具教室でもアイディア募集がありました。時代を超えて、吉原や四十七士、関が原や猿蟹合戦などの物語性のあるものが良い?ですとか、宇宙人というアイディアもでていました。
最近のお仕事として、塩尻の市民交流センターのサイン計画のお話をしてくださいました。添景を使ってピクトデザインをし、例えば、電話は「電話をかけている人」、ロッカーは「荷物を預けている人」のように、「そこで人が何をするのか」を図案化したそうです。トイレを示すピクトをめぐる攻防には、参加者全員 で大笑いしました。建築家は空間を大事にしたいからサインを小さくしたいが、サインは目立たせなくてはなりません。そこから、目立つけれどもデザインを邪魔しない、「本に貼るふせん」というアイディアが生まれたそうです。
「大きな空間や建物を作りたい」という建築家が多く、大から小へと思考を進めていくそうですが、寺田さんはディティールから考え始めるそうです。最近では、通常の設計の流れとは逆に、最初に模型を作り、それを100倍する形で立面図、平面図を作ったそうです(通常では平面図でボリュームを考える→立面図を作る→模型は確認や、伝達用)。
建築からプロダクトデザインへと行く人もいます。ですが、寺田さんは、時計だけではなくてそれがかかる壁までもかかわりたい。だから、建築家の立場でその中に置かれるものまでかかわるのが良いそうです。
さまざまなスケールを自由に行き来し、1/100の世界もそれを原寸とした世界として考えるという寺田さんが作る、好きなものに囲まれた小さな世界。そこから目が離せません。
クマのグミの中にゼリースーツを着たテラダさんがいる幻の手ぬぐいと1/100建築模型用添景をおみやげにいただき、その後は恒例の裏文具教室へと移動しました。
☆添景に関する小話、裏話☆
●動物編:井の頭公園がモデル。象のほかは地味な小動物、鳥が多い。
●東京編:自動販売機の横に必ずあるペットボトルや缶用のゴミ箱、イチョウマークの入ったガードレール、バス停のミンクルも再現。
●ニューヨーク編:NY名物の馬に乗ったおまわりさん。白、黒、紫だが、MOMAに置かれているのは赤(NYの別名がBig Appleだから)。
●1/100建築模型用添景に使えるきせかえシール、引き出物や地方の美術館用の特別バージョン、中央線の車両なども見せていただきました。これらはすべてテラダモケイさんのHPで見ることができます!
●色は、白と黒、もう1色。例えば、東京編は緑、サッカー編はサムライブルーを意識して青。
●(「どこまで細かくできるんですか」という質問に対して)組み立てられないことと、レーザーカットで処理をしているため細かくなるほどコストがかかるため、これが限度とのことでした。
●次回作は「お花見」編。あなたも花さかじいさんになれる!?
テラダモケイのウェブサイトは、こちらです。
www.teradamokei.jp
「第30回文具教室/佐藤 徹」レポート
2010 . 12 . 08 ( Wed )
文/川本優子
先月の台風で延長になってしまった、記念すべき(?)30回
目の文具教室は、佐藤徹さんです。
待ちわびた参加の人たちが「クウカンコウカン展」のために平
安工房からやってきた佐藤さんデザインのマガジンラックベン
チとテーブルを囲み、いつもとは違う文具教室の始まりです。
まずお話はそのマガジンラックベンチをつくったきっかけから
始まります。もともとベンチ的なものでマガジンラックがつい
たものをつくりたいと思った佐藤さん。テーブルの裏にちょっ
とした棚をつくるとか、椅子に本など収納できるところを設け
るなど、多機能なものが好きなのだそう。
2000年に大手電機メーカーをやめた佐藤さんは、大学側からの
誘いで再び大学戻っていました。電機メーカーの大量生産の時
代から自分の手でつくりたい!という思いがあり教わりながら
大学の工房で制作し始めました。そして合板を使って一人暮ら
しの人でも買えるようなコストが安い椅子を制作します。後ろ
に収納ができる棚のあるソファ。マガジンラックベンチの原型
になります。そのソファは旭川コンペで入選、製品化。
そのソファがきっかけで平安工房さんを紹介され、ソファを販
売。そして実際に購入した人の話を聞きもっとスリムにする必
要性を感じ、しかしマガジンラックの機能を残したいという考
えからソファからベンチへ、と改良していきます。頭の中で考
えてもプロダクトはつくれない。自分で使ってみて、確認した
りすることが大事という言葉が印象的でした。
ここから佐藤さんの経歴についてのお話へ。
当時同じ電機メーカーをやめた人たちで好きなものを展示する
場をもちたいと、10人ほどの人たちが集まりました。それが
n.o.l.です。デザイナーズブロックに参加したり、最初は共通
のテーマなどありませんでしたが、次第にテーマを決めて展示
しはじめます。その後、2008年にシラスノリユキさんとシ
ラスアキコさんの3人でcolorを結成します。
そもそもデザイナーになったきっかけは子供の頃からおもちゃ
を自分でつくったりしていたり絵を描くのが好きだったので、
絵を描く仕事はないのか?と考えていたところ、高校の時の美
大出身の先生から「美大」というものがあるということを教え
てもらいました。さらに自分で調べると工業デザインというも
のがあるというのを知り、モノがつくりたい!という思いから
プロダクトデザインの道に進みます。東京に上京し日大の芸術
学部へ。学校では先輩と知り合う機会が多く、様々なことを教
わったといいます。
そして卒業後は三菱電機へ。5年くらいAV機器にたずさわり、
その後3年間携帯のデザインをします。さまざまな経験をして
その後フリーになり現在に至ります。
ここから参加者との質問タイム。
「デザイン事務所ではないメーカーのメリットは?」
メーカーはお金をかけて人を育ててくれ、ある程度保証されて
いるのがメリット。デメリットは色々経験するのに時間がかか
るということがあります。
「メーカー時代はどのくらいのペースでデザインをされていま
したか?」
新規のデザイン案件は実質2ヶ月くらいでマイナーチェンジは
一週間くらい。辛かったのはこれが一番いい!と思って完成し
たものをまたすぐにマイナーチェンジで変更デザインを考えな
くてはならないのが辛かった。
「どういうふうにデザインのアイディアを考えていますか?」
日常的に身の回りのものを視点を変えてみています。自分とい
うフィルターではなく小さい頃どうだったとか、お年寄りにな
ったらどうするか、とか。そこからこれはこうしたらもっと改
善できるかも!というアイディアが浮かんだりします。
「決まった仕事をやってきたメーカー時代と現在の自由なフリ
ーとのギャップは?」
今もものすごく自由度がある訳ではないのでそんなギャップは
かんじていません。メーカー時代は大勢のひとに向けてのデザ
インでしたが今はコアな人のためにデザインしている感じはあ
ります。クライアントと一緒になって考えている感じがします。
「AV機器や携帯、そして椅子など様々なものをされていますが
今やってみたいものはなんですか?」
昔は白モノに興味がありませんでしたが今はやってみたい、み
んなが使う公共のものなども。海外に行くといいものがいっぱ
いあるけど日本は遅れている気がするので、もっといいものを
つくりたいです。
「大学の先生もされていますが学生の印象はどうですか?」
就活など大変そうだけど、大学のうちに色々経験したり体験す
ることはその先に繋がっていくと思います。
そして佐藤さんの代表するプロダクトのひとつ、conofの話へ
。
conofはいままで事務所の片隅に置かれていたシュレッダーを
SOHO向けに、という企画から始まりました。必要だけどデザイ
ン上見た目が悪い注意書きなどもアイコン化してデザインに組
み込むことで、見た目はもちろん、わかりやすいものになりま
した。最初はデザインを良くすることがどれだけいいことなのか、
というのがなかなか技術の人に伝えるのが難しかったですが模
型を手作りでつくって伝えることをしていくうち、こちらが望
むようなこと以上のことをしてくださるようになったそうです。
こうして隠れるようにして存在していたシュレッダーは会社や
SOHOはもちろん家庭でも置かれるようになりました。
平安工房の外村さんもお話をしてくださいました。
佐藤さんが工業デザインをされてから今は家具をデザインされ
ていることについて、ずっと家具をやっている人との違いはそ
んなにないと感じてらっしゃるそうです。持ってる技術をつか
っていかないとできないところは工業デザインと同じ。佐藤さ
んは職人さんとちゃんとやりとりできる人で、難しいところは
柔軟に対応してくれてそれを越えたデザインをしてくれるので
違和感がありません。ということを話されていました。
そして佐藤さんは文具について、くらしのなかで使うものとし
て家具ととても近いものだと感じているそうです。もし文具を
デザインするなら大人の文具をつくってみたいそうです。もち
ろん多機能で、というところが佐藤さんらしいです。
こうして一旦つくしでの文具教室は終了となりました。
駅前に移動し、参加者全員が第二部参加という優秀な(?)出
席率となり、さらに色々と語った楽しいものとなりました。
「第29回文具教室/鈴野浩一」レポート
2010 . 11 . 18 ( Thu )
記/小松伸一
夏も終わりに近づいていると思いきや残暑きびしく、窓を開けて涼をとりながら、9月の文具教室は幕を開けました。今回のゲストはトラフ建築設計事務所の鈴野浩一さんです。今回はトラフフリーク(?)が多数参加してくれました。
鈴野さんは大学を出て、シーラカンスという設計事務所に勤めはじめました。そこでは建築の仕事のほか、グラフィックやインテリア、家具デザイナー、など様々な分野の人たちと一緒に仕事していて、刺激的でもあり視野が広がったともいいます。以前に文具教室で話をしてくれた藤森泰司さんとも現在、共同の場所で仕事をしているようです。
その後、鈴野さんはオーストラリアのメルボルンで2年間勤務をします。とにかく自然環境が抜群で居心地がいいことや、17時に仕事はきっぱり終わって帰らされることで、短期間に集中して仕事に取り組めたことなど、鈴野さんにとってオーストラリアでの活動はとても充実したものでした。
この時は、とにかくオーストラリアにいたい気持ちが強かったようです。ある一大プロジェクトのコンペで一等をとって、基本設計まで行いましたが、それを終えて、鈴野さんは日本へ戻ります。大学の非常勤講師の設計事務所で働きながら、トラフ建築設計事務所をはじめました。
ところで、「トラフ」という名前にしたのは何故?という質問がありました。鈴野さんは「3文字くらいで、フワっと柔らかい抜けた感じがよかった」ようです。言葉にあまり意味をもたせないようにということで、色々考えた結果、「トラフ」が一番しっくりきたようです。ちなみに第2候補は「コロナ」ということでした。。
鈴野さんは建築以外にもインテリアやプロダクトなど、何でもやろうと思っていた時期があったようです。そのきっかけは、目黒にあるホテルクラスカの仕事をした影響が大きく、ここで色々なつながりができて面白さを見いだしたようです。
続いては空気の器のはなしになりました。空気の器は、かたちを自由に変えられる紙でつくられた不思議な器です。広げ方によって、小さなお皿から花瓶など、用途に合わせて自由なかたちをつくれるのが特長です。そして、かなり強度もあります。表と裏で色が違い、観る角度によって色の見え方がさまざまなのもミソです。
今年の1月から2月にかけて、六本木のアクシスで、かみの工作所による「トクショクシコウ展」で最初に発表しました。特色をテーマに、それぞれの出展者が作品を発表した展示イベントです。色から考える事はなかなかないので、それは新鮮だったといいます。黄緑を最初に考えていたようですが、黄色を青に見せたりすることはできないか、2次元をいかに3次元にのばせるか、構造的にうまく自立することはできないか、あれこれ思いを巡らせました。
そして色々実験もしてみました。紙の種類、大きさ、強度、模様、形、などなど、何パターンもつくりながら試行錯誤を重ね、最終的に、紙は柔らかくて強度のあるもの(イルミカラー)にしました。当日は、色んな試作をもってきてくれました。
また、積み木を使ったプロダクトも紹介してくれました。間伐材を使って作ったもので、キッチンをコンセプトにしたものでした。コースター、キッチンタイマー、パスタメジャー、ペッパーケース、などなど、積み木で空間のシーンをつくるということに面白みを感じたようです。
鈴野さんは、素材にこだわるのがとても好きなようです。素材を集めて、サンプルをたくさんつくって、そこから作ったり考えたりしながら、面白いことを積み上げていくのが楽しいと言います。そうしたことは意識的に続けているようです。また、建築をやっていてよかったのは、街の見方がわかることだといいます。視点をかえると広がりができ、関心を広げて行くと、楽しみもふえてくるようです。
そもそも建築の分野に目覚めたきっかけの一つとしては、家の近くにあった横浜国大の家庭教師が建築学科の人で、よく作品をもってきてくれていたことがあるようです。図画工作の成績が良くて、絵や工作がとても好きな少年だったといいます。実家の模型をつくったこともあり、かなり建築について強い関心を抱き始めたのはこの頃だったようです。
鈴野さんは、感覚として条件やアプローチの仕方を考える事に時間を費やすようです。まずやってみる、カタチにする、できることからはじめてみようとすること、そこから何が面白いか、つまらないか、紐解いていくといいます。アイディアは最初からあるわけではなく、この試行錯誤しながら、方向性を決めて行くことが多いようです。色んなコラボレーションを積極的に入れて行きたいと力強く語りました。
トラフの魅力は、鈴野さんの視野の広さや試行錯誤を続けながら洗練されていく発想力や創造力が、さまざまな経験により積み重なって、にじみ出てきているものだと感じました。今後ますます、私たちの想像だにしない作品が出てくることを期待します。
文具教室後はいつものように懇親会へ。国立だけでは飽き足らず、スペシャルゲストを交えて吉祥寺へ足を延ばしました。深夜の飲み処で、建築/デザイン談義が白熱したとかしないとか。
第28回文具教室/名児耶秀美(なごやひでよし)
2010 . 08 . 15 ( Sun )
文/山崎祐希(やまざきゆうき)
名児耶さんに持ってきて頂いた絶品おつまみとビールが振る舞われる中行われた今回の文具教室。参加者はプロダクトデザイナーの方が4人。インハウスのデザイナーの方が2人、そして岐阜県からはるばる来て下さった学校図書の司書の方。一人欠席して、全員で7人でした。
参加者一人一人の自己紹介のあと、名児耶さんにご自分の生い立ちを語って頂きました。そして経営者として、デザイナーとして関わってきたデザインの現場のお話へ。年代によって「デザイン」の言葉の捉え方は変わる、と名児耶さんは言います。そして名児耶さんにとって「デザイン」とは、現時点で一言で表わすと「思いやり」だと思うようになったそうです。参加者の方々も普段疑問に思っている上司の行動を名児耶さんへ問いかけるなど、活発な議論がなされました。みなさん中々聞けない経営者の声や事情、アドバイスを聞くことができたようです。
「俺は敷居のない男だからね!カテゴリー嫌い。」
「デザインと恋愛してるもん。」
「世界の奴らに、日本ってすげー面白い!って思われたい。」
「俺はデザイナーが不得意な部分をデザインしているよ。」
「アートとデザインが混じり合っている所が面白いんだよ。」
など数々の「名児耶節」も聞くことができました。印象的だったのは名児耶さ
んが何度もおっしゃっていた「いつも周りが助けてくれる!」とのお言葉です。名児耶さんの明るく、分け隔てのない人柄に引きつけられる人も多いのでしょう。今後の目標は、小さい会社(収益10億ぐらい)をたくさん作りネットワーク型の事業を目指していきたいとのこと。
“日本がブレイン(脳)でアジアのリーダーになってほしい”
数々のヒット商品を生み出す h concept。日本から世界へ進出し、今や7カ国
で展示も行っています。その会社を支える名児耶さん。その眼は暖かく日本か
ら世界へ、そして世界から日本を見つめ返しているようです。何よりデザイン
が大好きで、それと真剣に向かい合う名児耶さんの気持ちが伝わってくる文具
教室でした。
そしてその後は場所を移して恒例の裏文具教室へ、さらに熱い話を聞くことができました。名児耶さん本当にありがとうございました。
――――――名児耶さんのあゆみ―――――――――
名児耶さんは神田で137年続く会社の次男として生まれます。しかし小6
の時からタバコを吸い、中学の頃は不良の道へ。ご本人曰く「喧嘩をしない
不良」だったそうです。絵を描くことが好きだったこともあり、高校で心を入
れ替え夜間の美術予備校に通い、現役で美術大学に合格します。
大学時代から高島屋の宣伝部にてバイトを始めそこへ就職。そして、お父様
からの要望もあり、20台後半にお兄様が跡を継がれていた会社に入ります。
そこで名児耶さんがまず行ったのは、商品のパッケージやカタログを変える
こと。その頃の中小企業でデザイン部門に注目する会社はほとんどなく、周り
にもなかなか理解してくれる人はいなかったそうです。「なんでそんな無駄な
ことをするのか?」
しかしその取り組みを続けたことで、商品の売り上げは何十倍にも伸び、展
示会でも注目されていきます。「長い歴史がある会社もデザインによって変えることができる。」このことを実践し、デザインの力を確信します。そして独立し、h concept を立ち上げます。
――――――――参加者から名児耶さんへ―――――――――
E「私はメーカーで文房具のデザインを行っています。そこで中学生の女子を
対象にした商品の企画を行いました。でも最終的なデザインの判断を社長が行
うんです。『もっと男っぽくした方が良い!』とか言われて、最初から練り直
したこともあります。社長は中学生の女の子になったことすらないのに!どう
して判断するのでしょうか…。」
名児耶「あーそれは中間に入ってる人が悪い。だって社長は部下から意見を聞
かれたら、何か言わない訳には行かないよ。だから中間の人が上手く上の人を
誘導しないと。だから、その不満を解決する一番の近道は君が上司になること
だと思う。」
Y「そうそう、会社に勤めていた時飲みにいって僕も言われましたよ。『俺に
判断させる状況をつくらないでくれ…。』って。ぽろっと。だからその人が
判断しなくても良いように、そしてその人が傷つかないように上手く誘導する
テクニックが必要ですよね。上司は。」
名児耶「もしくは、あれだ。『それおかしいんじゃないですか!』っていって
机をひっくり返しちゃえばいいんだよ!案外、そういう人を本物の社長は待
っているかもしれないよ。」
名児耶「男はすぐ生活のこととか考えて萎縮して出来ないけど、女の人はそれ
が出来る人が時々いるからね。すごいよ。(笑)」
H「じゃあ、失敗したら名児耶さんに引き取ってもらうということでよろしい
ですね(笑)。」
名児耶「・・・・・・・・。」
裏文具教室でのこぼれ話…
名児耶「30代の女性が一番綺麗だ!」
第27回文具教室レポート/西本良太
2010 . 08 . 10 ( Tue )
記事/山崎祐希
「西本さんさえ言語化できないことを言葉で聞くことができればいいなあ」という萩原さんの言葉から始まった今回の文具教室。参加者はデザイナーの方が4名、都市コンサルタントの会社に勤める方が1名、美大の学生が1名の6名の方々が集まって下さいました。まずは参加して頂いた方々にどうして参加しようと思ったのか?という質問が。理由は皆さんそれぞれでしたが、中でも印象的だったのが昔から西本さんを知っている方からの「彼の本音を聞いてみたい。」との言葉でした。
西本さんは野球好きのお父様の元で育ちます。小さい頃から野球が大好きで大学も野球が続けられるところを選んだそうです。そこではもっと上手くなろう、と毎日練習をしていましたが、学年が3年、4年と上がってくると自分の力もわかってきて、もう上ではできないと感じます。野球以外に他にしたいこともなくて、卒業したらどうしようという感じだったそうです。
そして、「モノ作りをしたい」との強い気持ちが芽生え、家具の制作会社に就職。そこで木工の基礎を覚えていきます。そして空いた時間に作り出したのが、木の指輪シリーズ。始めは端材で作っていたこともあり小さいものが中心だったそうです。そして素材も木にこだわらず、アクリル、セメント、陶器などでも制作するようになります。プリンやペットボトルの容器を加工した作品が1_WALL(旧ひとつぼ展)で入賞もなさいました。今では独立し2年前に青梅市に工房を構えています。
これからも素材にこだわらず、とにかくモノ作りを続けていきたいとのこと。
ご自身の中の様々なしがらみから今は少し解き放たれたそうです。デザイナーなのかアーティストなのか職人なのか、西本さんを定義する言葉は難しいですが「つくり手」であることに違いはありません。今後も柔軟で、そしてストイックな西本さんの作品に注目です。西本良太さんありがとうございました。